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  • 2011年秋号

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~民間初の分譲マンション「四谷コーポラス」~
日本の集合住宅は関東大震災後に建設された「同潤会アパート」から始まり、戦後初期の集合住宅「蓮根団地」、「晴海高層アパート」、専用庭を持った長屋建て低層住宅「多摩平団地テラスハウス」へと続き80年を超える歴史があります。その歴史の中で今回は、日本で最初に販売された分譲マンション「四谷コーポラス」を紹介していきます。

◆「日本住宅公団」設立

関東大震災の住宅復興を目的に設立された「財団法人同潤会」は、震災に強い鉄筋コンクリート構造の集合住宅を多く建設した。

昭和12年に日中戦争が始まり、地代家賃統制令が出されるなど、住宅問題が深刻になる中で、軍需産業に従事する工場労働者用住宅を大量に建設するため、同潤会解散後の昭和16年に「住宅営団」が設立された。後に、戦災と都市への人口流入解消を目的とした昭和30年、「日本住宅公団」が誕生。日本住宅公団は、戦後初期の集合住宅におけるテーマのひとつ「食寝分離」に応え、昭和32年に「蓮根団地」を建設。

また郊外の住宅団地に、長屋形式の「テラスハウス」を、そして来るべき高層化時代に向けての試作のために「晴海高層アパート」を建設した。この「日本住宅公団」設立により、日本の住宅建設は大きく前進することとなる。

同じく昭和30年代、首都圏整備法[※1]が設立され、民間初の分譲マンション「四谷コーポラス」が竣工、分譲が開始された。

◆一般庶民からは高嶺の花だった「四谷コーポラス」

昭和31年、民間で初の分譲マンションとして売り出された「四谷コーポラス」(販売元・日本信販 不動産部門 現/日本開発株式会社)。現在も中古マンションで販売されており、築年数が50年以上経過するにもかかわらず、いまだに入居希望者が絶えない。

「四谷コーポラス」は5階建て総戸数28戸の物件で分譲価格は3LDK約230万円。大卒初任給がおよそ1万円の当時としては破格の高額物件で、著名人や医師、大学教授などが多く入居していた。

住戸タイプがA型とB型の2つあり、A型は77・02平方メートルで上下2層のメゾネットタイプ(約233万円・昭和31年当時)24戸。B型は、51・57平方メートルの平面タイプ(約156万円・昭和31年当時)4戸。間取りや内装はA型B型とも、水回り以外は、購入者の希望を取り入れるという「フリーオーダー形式」が採用されていた。

また、設備面も共用廊下にダストシュートやアメリカ製のディスポーザーを設け、ゴミ捨ての手間を省くアイデアや、全戸に設置された電話機やテレビの屋外アンテナ端子など、時代の最先端を追求したものであった。また分譲主が信販会社ということもあり、マンション購入において月賦販売がされたのも「四谷コーポラス」が初めてだった。昭和37年にマンションの基本法である「建物の区分所有等に関する法律」(マンション法)[※2]が制定され、その後、賃貸マンションの法的位置づけが明確となったため、マンション所有が個人の資産として認められるようになった。

担保の対象として高額所得者が銀行から融資を受け、住宅ローンを利用した住居購入が可能となるという大きな変革が起こったのも、この時代からだった。

その後、昭和39年開催の東京オリンピックを機にマンションの供給が増えていく。

※1首都圏整備法は、首都圏の整備に関する総合的な計画を策定し、その実施を推進することにより、日本の政治、経済、文化等の中心としてふさわしい首都圏の建設とその秩序ある発展を図ることを目的として制定された法律
※2マンション法は、一棟の建物の一部(区分建物)を独立した所有権の対象とすることができるよう、その場合の権利関係について定める法律